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深大寺オーキット 周辺探索

深大寺オーキットは、調布市深大寺にて店を構えて三十余年となります。当店より深大寺の本堂までは歩いて二十分ほどです。あるいは神代植物公園までも歩いて二十分ほどかかります。また、調布市の最も有名な人物である近藤勇の墓がある龍源寺までは、車で十分ほどで行くことができます。
深大寺オーキットが店舗を構えている場所は、中央線と京王線の真ん中辺りになります。中央本線自体は東京駅より、新宿、八王子、高尾を越え、甲府を越え、さらには長野県の塩尻駅を経由し、さらには愛知の名古屋駅までを結ぶ鉄道路線です。ただ、中央線とは通常、中央線快速のことを指し、東京駅から高尾駅間までの区間を言います。中央線快速の駅において、当店からの最寄り駅は、武蔵境駅あるいは三鷹駅辺りになります。

京王線は、新宿駅から調布駅、北野駅を経由し、京王八王子駅までを結ぶ路線です。新宿から下り電車に乗った場合、柴崎駅の先で野川を越え、そこから地下トンネルに入ります。調布駅を越えたのち、相模原線とのポイントを通過して相模原線を左に分けると、地上に出る格好です。この区間は、地上に電車が通っている時代には踏切で交通が遮断され渋滞がひどかったのですが、地下化により解消されたと思います。なお布田駅は地下化開業の際にスクリーンドアを採用したため、転落事故は減った模様です。当店よりの京王線の最寄り駅は、調布駅か西調布駅になります。

キャベツ畑

当店より駅まで歩いて行くことは困難ですが、45分から1時間くらい費やせば徒歩で行くことも可能です。駅から遠く離れている分、宅地が多く広がり、駅前よりもマンション等は少なめで、一軒屋が多くなっています。深大寺、神代植物公園、野川公園など、付近には緑がたくさんあります。またこの付近では今でも農業を営む農家の方々がたくさんおり、深大寺オーキットの付近にも広大なキャベツ畑が広がっております。

周辺

調布市は昔、調布村と神代村が合併して調布市が誕生しました。昭和三十年四月一日のことです。調布市の歴史を簡単に説明しますと、明治二十年に町村制が施行され、神奈川県北多摩郡に、現在の調布市にあたる二町村が発足しました。調布町と神代村です。調布町には上石原・下石原・国領宿などが含まれ、神代村には深大寺村・柴崎村・北野などが含まれていました。やがてこの地区が神奈川県の管轄より東京府の管轄となり、やがて戦後すぐの時に神代村が神代町へと変更され、その後、調布町と神代町が合併して調布市となりました。当店が店を構えるのが、元神代村のあった地域です。

周辺

ベッドタウンとして宅地開発が始まったのはほんの五十年ほど前からの話であり、それまではだだっ広い畑や田んぼがほろがる多摩の光景がずっと続いておりました。そんな多摩の風景が過去五十年の間に少しずつ変わってゆき、工場ができ団地ができ家ができ、人々が多く移り住むようになっていったのです。調布市の元は調布村と神代村ですが、調布駅がある調布村のほうの宅地開発のほうが神代村に比べるとはるかに進んでおりました。調布駅より新宿までは特急電車で二十分ほど、通勤エリアとして駅前開発は大いに発展しました。しかしそれに対して神代村は、京王線の各駅よりも遠く、さらには三鷹駅や武蔵境駅あるいは吉祥寺駅といった中央線の各駅よりも遠く、その分農地が残ったままの状態で今日まで来たのだと思います。五十年前、三十年前、十年前に比べれば遥かに農地や緑地は減りましたが、それでも京王線各駅の沿線地帯に比べれば遥かにまだ緑豊かであると思います。そんな緑豊かな深大寺よりもさらに北、調布市と三鷹市の境にある深大寺オーキットの周辺を探索することも、当店の魅力の一つであると思います。

深大寺

当店より深大寺の本堂までは歩いて二十分ほどです。深大寺という名は、水神の深沙大将に由来しています。仏教の守護神であり、大般若経を守護する十六善神の一つ。観音菩薩または多聞天の化身であるとされています。奈良時代の天平五年に、満功上人が法相宗の寺院として開創したと伝えられます。その後平安時代に天台宗へ改宗しました。平安時代、清和天皇の時代に、武蔵の国司蔵宗が反乱を起こし、この降伏を祈念するために、修験の達者である比叡山の恵亮和尚が勅命をうけ東国に下りました。恵亮和尚は深大寺を道場に定め、逆賊降伏の密教修法を行ない、その平定の功により清和天皇は寺を恵亮和尚に賜りました。江戸時代に二度の火災にあった。現在の本堂は大正時代の再建です。

深大寺

神代植物公園に関しても、当店より歩いて二十分ほどです。都内に唯一の植物公園であり十万鉢、約四千種の植物が植えられており、特にバラ園の充実が有名。春と秋にはバラフェスタが行われ、また各種イベントやコンサートなども行われています。園内にはたくさんのサクラが植えられています。およそ六百本で、一番多く集められている場所はもちろんさくら園ですが、芝生広場の西側や、ばら園入口のソメイヨシノの並木も見事なものです。

神代植物公園

また、水生植物園も充実しており、昭和六十年に開園した地域に、さらに平成九年に拡張を施しました。園内の一部には深大寺城跡があります。深大寺の裏山から湧き出た水が集まって湿地帯になっていたところに、木道などを整備して公開したものです。池と水路にはハナショウブ、ミクリ、コウホネ、アサザ、サクラソウ、ミソハギなどが植えられております。

近藤勇の像

調布市の最も有名な人物が、新撰組局長の近藤勇です。近藤勇は、幕末の天保五年に、武州多摩の上石原村(現在の調布市野水)にて、豪農宮川久次郎の三男として生まれました。幼名は勝太。その後、京都にて新鮮組を結成、局長となった。後に幕臣に取り立てらました。

龍源寺

多摩地域は江戸幕府の直轄領にあたり、農民の子らは剣術稽古にいそしんでいました。若かりし頃の勇が親密にしていた人物として、兄の音五郎や惣兵衛、佐藤彦五郎、沖田林太郎らがいます。佐藤彦五郎は日野宿の名主で、天然理心流の門人となり屋敷内に稽古場も持っていました。佐藤彦五郎の妻のぶの弟が、新撰組副長の土方歳三にあたります。歳三も彦五郎宅にはよく出入りしていたと言われます。また、沖田林太郎の義弟が、新撰組一番隊隊長の沖田総司にあたります。
近藤勇ら新撰組は、鳥羽伏見の戦いで惨敗した後江戸に帰り、その後各地を転戦しました。流山にて勇は捕らえられ、中仙道板橋宿近くの板橋刑場で横倉喜三次、石原甚五郎によって斬首されました。享年35歳でした。首は京都の三条河原で晒されました。墓所は調布市野水近くの龍源寺。その龍源寺までが、当店より車で十分ほどとなります。